左右に平均台があるところでの、長下肢装具をつけてのリハビリをしていた。
右手(健側)で平均台をつかんで歩いていく。
平均台の端まで行ったら、右手をまず左側の平均台に乗せて、左回りに方向転換。
そうしてまた端から端まで歩いていく。そんなリハビリ。
左脚(麻痺側)はまだ先生に操作してもらうのだが、大分歩けるようになってきた。
母は、あんなもんじゃまだまだ話にならない、と言っていたが。
私は、たいしたもんだ、がんばっている成果が出ている、と思う。
リハビリが終わって、病室で談話しているときに、
母がなんだか急に機嫌が悪くなって、
兄や私に向かって、兄が家に帰ってきたとしても、その先の生活はどうするとか
仕事はどうするとか、母が邪魔なら家を出れば良いのかとか、わけわからないことを言うし、
嫁がいないから、女手が足りないとか、
いとこの家は嫁もいて子供もいてある程度稼いでいるのに、あんたたちはどうするのとか、
まあ、ある意味でいつもの母になっているわけだが、
高次脳機能障害の影響で、少し涙もろくなってしまった兄は泣いてしまっていた。
兄は「泣くと疲れるから泣かさないで」と非常に優しく訴えているのに、
母は一度こういう状態になるとものを一切聞かなくなったり、
話しもしなくなって黙ってしまい、ちょっと困ってしまうのだ。
しかし、元々うちで一番物事を理解できる兄のほうが、
病気になってしまった今でも、母や私よりもしっかりしていて、
母の話をよく聞いて、母をちゃんと理解していたし、やっぱり、まだまだ頼りになる。
私のほうが、母を少し怒らせてしまうことがあるので、しっかりしないとなあ。
最終的には、兄自身も「久しぶりに真剣に家族会議ができたので良かった。」と言っていた。
丸く収まったのは良かったのだが、母は諸刃の剣なところがあるなあ。
今日は、話が大分それてしまったが、母もたまっていたものを吐き出せたようだし、
兄も私もあらためて今後の人生を見つめることが出来たのでよかった。